お寺について

浄土寺の概要

名称

 浄土真宗本願寺派 泰平山 浄土寺

由緒

元徳年間(1329〜1331)、尾道浄土寺在籍の僧了恩の開基。元徳の昔、志路原三本松に妖怪あり荒れ狂い、人々は恐れ不安の暮らしをしていた。この折、了恩という高僧来りて一千日間の祈祷をすれば、鎮まり無事平穏の生活にもどった。人々は高僧に帰依し、正慶元(1332)年堂宇を建立し住した。僧了恩は備後国尾道浄土寺の僧侶で、29人の比丘衆とともに同寺に多宝塔を建て、前住職寂証証法印の三回忌の追福供養をなし、出て諸国行脚の途上、ここに寺を開基したと伝えられる。

(名田富太郎著「故郷の五十年」の中より)

慶長年間(1596〜1615)8代覚善の時、福島正則により寺禄並びに堂宇を破却、僧侶は追放された。

元和2(1616)年廃寺となった真言宗の正願寺、伝浄寺、万徳院、東仙寺、海翁寺、浄土寺の6ヶ寺を合併し一ヶ寺の再建を許可、浄土寺を称号とした。
永禄10年(1567)、9代善誓(市木浄泉寺より入寺)の時真宗に改宗(芸藩通志には開基)し、今日に至る。

現住職は真言宗開基より25代、真宗改宗17代である。

寺標堂宇
境内
420坪(1386㎡)
寺号
延宝6(1679)年4月5日、12代覚秀のとき下付。
本尊

阿弥陀如来木像
(1)室町時代と推定されるものと
(2)寛永7(1631)年10月2日、10代善明の時

本願寺門主准如上人より授与のもの

名号
既弘の名号と称し、蓮如上人より下付されたもの。
本堂
元和2年建立したものを享保元(1716)年に改築し、現本堂は明治24(1892)年再改築。
三門
茅葺屋根造りで、元和年間建立と伝えられる。
高野槇
広島県指定天然記念物「コウヤマキ」があり、寺や地域の名物であったが、平成3年9月襲来の台風19号により倒れた。
つり鐘
昭和17(1942)年出征した鐘が53年振りに帰郷し「平和を希うつり鐘」と命名する。
地名

志路原は、志道原とも記され、しし(鹿)の通る道に由来する。地域各所に近世産業の中心であった炉(タタラ)の跡が多くみられる。また、海応寺部落には戦国の武将吉川元春の居館跡と墓がある。

かえってきた つりがね
平和を願うつり鐘

戦時中、お寺の釣り鐘が軍隊に供出された。心の支えを失った村人の悲しみと原爆で幼友達をなくした戦争体験をごん太じいさんが子供たちに語り聞かせる。恒久平和の願いを込めて・・・。

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